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岸田秀『ものぐさ精神分析』

久しぶりに思想系の面白い本に出会った。くだけた表題とは裏腹の侮れない内容になっている。「一つの集団の歴史は、一つの個人の歴史として説明できる」という立場に立脚した本書は慎重をきして眉に唾して読む必要があるが、恐るべき明解さと説得力を兼ね備えた実にエキサイティングな読み物だ。
忘れないうちにとりあえず一章の『歴史について』だけで感想をまとめてみる。共同幻想が私的幻想に支えられるというのは、M.ウェーバーの言った「合理性がある種の非合理によって支えられる」ということではないか。そして現代日本においては巨大掲示板が私的幻想を共同化する制度として機能しているのではないだろうかという二点が気になった。

角田光代『まどろむ夜のUFO』

角田光代の初期作品の短編集。『空中庭園』が思いのほか面白かったので続けて読んでみたのだけど途中少ししんどかった。語りが単純な一人称なのでさすがに飽きてきたのかも。中では『ギャングの夜』が面白かった。孤独な中年の女性とか書かせると巧い人だ。たぶんこの人は。
角田光代の小説がきっかけで最近よく孤独について考える。帰りの電車で乗っている人の顔を眺めながら。家庭を持つことなく老いていく人の孤独とか、家庭があってもやっぱり孤独な人は孤独なんだろうなとか。勝手に想像して。小説はそういうことを表現するのに向いているジャンルだと思う。書くのも読むのも独りだし。
じゃあ演劇は何を表現するのに向いているジャンルか。
やはりそれこそ僕が追い求めるテーマのひとつだ。

角田光代『空中庭園』

ある人から勧められたので読んでみた。
そういえば直木賞系の作家の本を読むのは久しぶりだ。
けっこう面白かった。
というか巧い。
もちろんその巧さは、あえて限定した枠組みの中で発揮される巧さなのだけど。
以前どこかで読んだ、小説のある種の保守的な技術体系は今や芥川賞ではなく直木賞が受け継いでいる云々という話もうなずける。
しかしアンダーミドルクラスを主人公にした話には身をつまされてしまう。横には移動できても上には決して上がれないとか、わかっていても嫌な話には違いない。
惰性とか絶望とか、ありがちだからこそ技術がともなうから読めるんだろうな。


コメントれす↓

故郷様
いやほんとうっかりでした。
35時間ぐらい寝てなかったので、ぼーっとしてました。
翌日その携帯を取りに行く時も地下鉄の御堂筋線天王寺駅で車庫まで乗り過ごすしたり。
やっぱり人間寝ないといかんです。



中原昌也『KKKベストセラー』

少し前に梅田のブックファーストで立ち読みして
書き出しの強烈なインパクトにこれは読まねばと思っていた中原昌也の『KKKベストセラー』。
そのときは別の本を読んでいる途中だったので買わなかったのだが、少し余裕が出来たのでいざ買おうと思うとミナミのどこの本屋に行っても売っていない。
これは何かの陰謀か?
中原昌也はミナミの書店から干されているのか?
と思ったら心斎橋のアセンスに売っていた。灯台下暗しとはこのことだ。
さすがうちの元看板男優の兄が勤める本屋だけはある。
 
さて肝心の中身だが。
これがなかなか面白かった。いや、かなり面白かった。
ただこれを面白いといっていいのかどうか疑問だが…。
そもそも中原昌也の小説が好きだというと人格を疑われそうで嫌だ。
ジャンク化という言葉だけでは語り尽くせない、下品な一見ほんとどうしようもないゴミのような、いやゴミ以下の文章で綴られる小説ばかり書いている作家だからだ。愛読者の僕でさえ読んでいて怒りが込み上げてくることがある。でもときどき無性に読みたくなるのは何故だろう。
話を『KKKベストセラー』に戻すと、今まで読んだ中原昌也の小説の中で一番面白かったりする。まあ比較的わかりやすい作品だからだと思う。
まず冒頭のつかみが巧い。

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山田詠美『PAY DAY!!!』

帰省する行き帰りの電車の中で久しぶりに山田詠美の小説を読んだ。きっかけは少し前に生で彼女を見る機会があったからなのだが。
そういえば大昔に友達からこの小説の主人公はお前に似てると『僕は勉強ができない』を勧められて(当たり前だが全然似てなかった)、ついでに幾つか読んで以来だ。
そして実はあまり好きな作家ではなかったのだけれど、
今回初めていいなと思えた。
理由はたぶん登場人物や舞台の設定がよかったからだろう。
山田詠美の文体はいつも素敵すぎて何だかなあと思っていたのだけれど、この作品では語り手がアメリカに住む双子の高校生なのでそこが気にならなかった。
あとユーモアたっぷりで笑いどころもあったし。
9.11で亡くなった母親が愛用していた香水がやカルヴァンクラインのエタニティだったなんてエピソードは、はっきり言って出来すぎなんだけど泣いてしまった。
たまにはこんな読書も悪くないかな。

ドストエフスキー『地下室の手記』

今週はずっと月曜日の日本惨敗が頭から離れなかった。3連敗もありうると心の準備をしていたにも関わらずだ。

そこで『地下室の手記』を読むことにした。何かに逃避したいときドストエフスキーはうってつけだからだ。
読み出したら止まらない。相変わらず主人公は考え過ぎだ。そして、この「過ぎ」がドストエフスキーの魅力なのだと再確認。
言葉を先回り先回りしてゆく感覚。例えるなら二列目三列目が前線に飛び出してはゴールを襲うジェフ千葉のサッカーのような…。
いかんな。またサッカーの話になってしまった。

保坂和志『この人の〜』

髪が伸びてきた。そろそろ切りに行かねばならないのだが、あいにく時間がない。そうこうしているうちに伸ばし過ぎになっていつもBonさんに呆れられる。Bonさんとはいつもお世話になってる美容師さんだ。しかしほんと、今週中には行きたいな。


たまには最近の?小説でも読もうと思い、保坂和志の『この人の〜』を読んだ。〜の部分には携帯では出てこない漢字が入る。門構えの中に域の右側が入って「いき」と読む字だ。パソコンならこの字は出るのか少し気になる。
保坂和志を読むのはこれで2冊目だ。嫌いではない、むしろ好感がもてるが、かと言って積極的に読む気にもならない。僕にとって微妙な作家なのだがその印象は今回も変わらなかった。
とにかくあっさりしている。平易な文章で会話も多いので、ふだん読書をしない人にもさらっと読めてしまうだろう。しかし、このあっさりさらっとは警戒すべきあっさりさらっとだ。何故このような文体をあえて選択しているのか、その戦略が見えるようで見えない。この「あえて」の部分がわかれば、もっとこの作家を好きになれるはずなのだけれど。

G.K.チェスタトン『ブラウン神父の童心』

僕は推理小説をあまり読んでこなかった。何故なら推理小説では言葉があくまで物語る道具として使われている場合が多くて物足りないからだ。言葉と言葉の横の繋がりが希薄というか。もちろん例外はあるだろうけど。でも食わず嫌いはよくないのでとりあえず古典から読もうと思い手始めにチェスタトンの『ブラウン神父の童心』から読んでみたのだが、これがなかなか面白かった。ちびで間抜けそうな神父が実は切れ者で名推理を展開するというパターンはありがちだが、そう感じるのは後の作家が積極的にこの形式を模倣したからだろう。凡庸な推理で主役を引き立てるワトソン君的登場人物もちゃんと出てくるし、今ある推理モノの原型はこの頃にはすっかり確立されていたのだなあと実感した。
さて、何と言ってもこの小説の魅力はあちこちにチェスタトンの文学や思想の知識が散りばめられている点だと思う。場合によっては事件の内容やトリックよりもそっちの方が面白いことがしばしばだ。本格的なインテリが推理小説を書くとこうなるのか。面白いじゃないですか。

黒猫・黄金虫

今日はポーの短編集『黒猫・黄金虫』を読んだ。ポーは探偵デュパンを登場させた推理小説家の祖とされているが、僕は「モルグ街の殺人事件」や「黄金虫」のようなポーの推理・謎解きものよりも「早すぎる埋葬」や「メールストロムの旋渦」あたりの幻想・怪奇ものの方が好きだ。だいたいが素朴で馬鹿馬鹿しい話なのだが、語りの妙な熱意でもっていつも押し切られてしまう。
ポーに限らず散文の黎明期を生きた作家の作品を読むと元気になる。余計なことは考えず、ただ散文しているからだ。文学というジャンルに終わりが来ることなど考えたことも考える必要もかなったからだろう。
少し羨ましい。

硝子戸の中(後編)

昨日書いた漱石は笑えるという話を人にしたところ芳しい返事が返ってこなかった。おかしいなあ。
さて気を取り直して『硝子戸の中』について。やっぱり巧いし面白いです、漱石は。あの大作家であり大天才が意外とくだらないことであたふたしたり悩んだりするのが滑稽で笑えます。もちろんそういう風に書いているのだけど、それが舌を巻くほどほど巧い! 猫ならぬ犬にギリシャ神話の英雄の名前をつけたりするお茶目なところもあったり。あとやたらと人が死にます。悲しい感傷的な内容も多いです。でもそれがやっぱり笑えるんですね。なぜ笑えるのか? おそらくそれは技術もあるんでしょうが漱石の孤独感と関係しているような気がします。特に晩年の。本当に孤独だからこそ醸し出せるユーモアみたいなものがあるんじゃないですかね。
妙に飛躍したことを書き始めたのでここいらで筆を置きます。最後に、『硝子戸の中』は比較的平易な文章で書いてあるので初心者にもお勧めですよ。あ、でも漱石の小説をある程度読んでからの方がより楽しめるかも。
どっちやねん。