2017.09.29 Friday
2006.10.30 Monday
くびすじの赤いなんちゃら
2006.10.29 Sunday
クリント・イーストウッド『父親たちの星条旗』
うーむ、なるほど。イーストウッドが戦争映画を撮るとこうなるのか。以前に『ハートブレイクリッジ』を撮っているけど。これはまた全然違う作品に仕上がっている。いやそもそもこれまでのイーストウッド作品とは一線をかくした作品だなこれは。
もちろん面白い。イーストウッドが撮ったのだから面白くないわけがない。光と影を強調した画の作り方なんか巧すぎて格好よすぎてもはや嫌味だ。夜の甲板とか野戦のシーンとか。
でも何か物足りなさが残るのは何故か? それはやはりイーストウッド本人が出演していないからではないか。あのしかめっ面。もはや人間の顔を超えた顔としかいいようがないあのしかめっ面の不在が残念でならない。僕はあの顔だけでご飯を三杯食べられる。そういえば『ミスティクリバー』を見たときも同じような物足りなさを感じた。ショーンペンは素晴らしい俳優だがやはり彼でも役不足なのだ。
特に今作品は俳優が皆あまり有名でない人たちで、パンフレットには僕の敬愛するハスミ氏が無名性に賭けた演出といった快活な批評を寄せてらしたが果たして。確かにそういう意味では今までと確実に一線をかくしている。あと阿部和重がどうみたかも気になるところだ。今回は何処に何に変化してイーストウッドが出演していたとこじつけるのか。楽しみだ。
とにかく僕はイーストウッドの、あのしかめっ面が好きなのだと再確認。もういちどスクリーンで見たい。そのためにも長生きしてこれからも映画を撮り続け、できれば主役をはってくれることを切に願う。
もちろん面白い。イーストウッドが撮ったのだから面白くないわけがない。光と影を強調した画の作り方なんか巧すぎて格好よすぎてもはや嫌味だ。夜の甲板とか野戦のシーンとか。
でも何か物足りなさが残るのは何故か? それはやはりイーストウッド本人が出演していないからではないか。あのしかめっ面。もはや人間の顔を超えた顔としかいいようがないあのしかめっ面の不在が残念でならない。僕はあの顔だけでご飯を三杯食べられる。そういえば『ミスティクリバー』を見たときも同じような物足りなさを感じた。ショーンペンは素晴らしい俳優だがやはり彼でも役不足なのだ。
特に今作品は俳優が皆あまり有名でない人たちで、パンフレットには僕の敬愛するハスミ氏が無名性に賭けた演出といった快活な批評を寄せてらしたが果たして。確かにそういう意味では今までと確実に一線をかくしている。あと阿部和重がどうみたかも気になるところだ。今回は何処に何に変化してイーストウッドが出演していたとこじつけるのか。楽しみだ。
とにかく僕はイーストウッドの、あのしかめっ面が好きなのだと再確認。もういちどスクリーンで見たい。そのためにも長生きしてこれからも映画を撮り続け、できれば主役をはってくれることを切に願う。
2006.10.27 Friday
角田光代『まどろむ夜のUFO』
角田光代の初期作品の短編集。『空中庭園』が思いのほか面白かったので続けて読んでみたのだけど途中少ししんどかった。語りが単純な一人称なのでさすがに飽きてきたのかも。中では『ギャングの夜』が面白かった。孤独な中年の女性とか書かせると巧い人だ。たぶんこの人は。
角田光代の小説がきっかけで最近よく孤独について考える。帰りの電車で乗っている人の顔を眺めながら。家庭を持つことなく老いていく人の孤独とか、家庭があってもやっぱり孤独な人は孤独なんだろうなとか。勝手に想像して。小説はそういうことを表現するのに向いているジャンルだと思う。書くのも読むのも独りだし。
じゃあ演劇は何を表現するのに向いているジャンルか。
やはりそれこそ僕が追い求めるテーマのひとつだ。
角田光代の小説がきっかけで最近よく孤独について考える。帰りの電車で乗っている人の顔を眺めながら。家庭を持つことなく老いていく人の孤独とか、家庭があってもやっぱり孤独な人は孤独なんだろうなとか。勝手に想像して。小説はそういうことを表現するのに向いているジャンルだと思う。書くのも読むのも独りだし。
じゃあ演劇は何を表現するのに向いているジャンルか。
やはりそれこそ僕が追い求めるテーマのひとつだ。
2006.10.26 Thursday
心の洗濯
2006.10.22 Sunday
裏山炎上
2006.10.19 Thursday
日常
2006.10.18 Wednesday
アメ村
2006.10.14 Saturday
Jリーグ、ガンバ大阪×横浜マリノス
2006.10.13 Friday
ヤン・ファーブル『劇的狂気』
昨日、世界演劇という講座で『劇的狂気』というお芝居をビデオで観た。
演出家はベルギー人のヤン・ファーブル。あの『ファーブル昆虫記』のファーブルの孫だ。現代美術家としてわりと有名で昆虫で服を作ったりしている。
さて、その内容は。
単純な行為を反復することによって反復を越えようとする演劇、というのが妥当な解釈だと思う。講師の方もそんなことをおっしゃってました。
個人的には、規律の中で管理される俳優の肉体がエロかった。やたら脱いで全裸になるのもあるけど。しかも無修正。あと制服やネクタイのアイテムが露骨過ぎてヤン・ファーブルはゲイなのではと思い、あとで聞いてみたがどうも違うらしい。観ている間ずっと三島由紀夫の小説のこと(あの露骨な様式美)が連想されたのだけど。見た目にだまされたのか? そいうえば三島由起夫もそうじゃなかったって話もあるしな。
まあ、そんなことは本当はどうでもよくて。『劇的狂気』はもっと自由な地点に開かれてあるのだと思うし。ただ、あっけらかんとした反復の果てにパーソナルなもの(俳優の身体の絶対的差異)以外のものを見出すとしたら、それは何なのだろう。
演出家はベルギー人のヤン・ファーブル。あの『ファーブル昆虫記』のファーブルの孫だ。現代美術家としてわりと有名で昆虫で服を作ったりしている。
さて、その内容は。
単純な行為を反復することによって反復を越えようとする演劇、というのが妥当な解釈だと思う。講師の方もそんなことをおっしゃってました。
個人的には、規律の中で管理される俳優の肉体がエロかった。やたら脱いで全裸になるのもあるけど。しかも無修正。あと制服やネクタイのアイテムが露骨過ぎてヤン・ファーブルはゲイなのではと思い、あとで聞いてみたがどうも違うらしい。観ている間ずっと三島由紀夫の小説のこと(あの露骨な様式美)が連想されたのだけど。見た目にだまされたのか? そいうえば三島由起夫もそうじゃなかったって話もあるしな。
まあ、そんなことは本当はどうでもよくて。『劇的狂気』はもっと自由な地点に開かれてあるのだと思うし。ただ、あっけらかんとした反復の果てにパーソナルなもの(俳優の身体の絶対的差異)以外のものを見出すとしたら、それは何なのだろう。
2006.10.12 Thursday