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スティーブン・スピルバーグ『ミュンヘン』

『AI』で度肝を抜かれて以降、僕にとってスピルバーグは一作品も見逃せない監督の一人になった。映画とは何かという映画にとっての永遠の課題をロボットの少年に託した結果、彼岸にいってしまのではないか。
そしてこの『ミュンヘン』。『宇宙戦争』に続く9.11以降を強く意識した作品だ。いや意識したという言葉では生ぬいかも知れない。『宇宙戦争』では街がパニックになる場面や、人間が白い灰になったり空から衣類だけが降ってきたりといった表現があの出来事を連想させた。しかし『ミュンヘン』においてはイスラエルとパレスチナのテロと報復の連鎖。実話を元にしたということもありかなりの直球だ。
筋立てはスピルバーグ定番の父子もの。主人公の工作員は妊娠中の妻を持ち、また祖国の英雄である父親に捨てられた過去を持つ。劇中では不在の実父の代わりにフランスのゴッドファーザーが登場するし、またイスラエルという国家そのものが父親という解釈も可能だろう。
印象的なのは女暗殺者を殺す場面。油断しきっている裸の女暗殺者に対して男が三人がかりで報復する。はだけたバスローブをかけるかけないのやりとりは旧約聖書のノアを思い起こさせる。
JUGEMテーマ:映画


北野武『監督・ばんざい』

北野武は今生きている日本人の中では一番好きな監督だ。もちろん全作品を見ている。だから新作公開となれば駆けつけぬわけにはいくまい。
感想は更にジャンク化が進んだ印象。前半は『TAKESHIS´』よりまともだなと思いきや、やはり後半は訳の解らない展開に。ただ同じゴミでも高度な技術で生み出されたゴミと単なるゴミは違うわけで、当然ながら『大日本人』などとは雲泥の差があった。比べるのは間違いなのかもしれないが。エピソードの中では『コールタールの力道山』が好きだ。この路線で一本とって欲しい。でも一番見たいのはギャングものだけど。ほとんどのギャグが滑っていたのが意図的なのか気になった。

コメントれす↓
ウメ様
『プレステージ』お勧めです。稀に見る馬鹿映画です。ちなみにノーランが撮ったのは『スパイダーマン』じゃなくて『バットマン』の新作ですよ。

クリストファー・ノーラン『プレステージ』

物語の側面から映画を語ることはあまり好きじゃない。だって物語なんて語り尽くされていて、初心者か、忘れているか、安心したい時以外楽しめないからだ。だがこの『プレステージ』の物語には流石に度肝を抜かれた。いい意味での反則映画だ。監督は『メメント』や『インソムニア』のクリストファー・ノーラン。まだ数は撮ってないけどなかなか見所のある人だと思う。演出が的確で無駄がない。あと霧の立ちこめた野外を上手く使ってくる。プレステージでいうとアメリカのシーンとか。しかし今回は何といっても物語が、オチが凄い。僕は唖然となり、その後笑いがこみ上げてきた。よくこの脚本でオーケーが出たなと思う。とにかく変な映画が見たい人は必見だ。

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ『バベル』

この映画を見て再確認したことは僕は愚直な映画が好きだということ。そしてこの『バベル』という映画は愚直さが足りない。深読みせずに解釈するなら聖書のバベルの塔の逸話にかけてグローバリゼーションのおける言語・ディスコミュニケーションの問題を扱ったのではないかと思う。だから菊地凛子は耳が聞こえないのか。だとすれば少し安易過ぎるような。見所はケイト・ブランシェットぐらいか。ちなみに僕が映画俳優を評価するときに重視するのは顔だ。いかに映画という光の陰影の中に己を定着させるか、それが舞台俳優ならぬ映画俳優ならではの見せ場であり、その際にものをいうのはやはり顔だ。イーストウッドの険しい顔、ブシェミの異常な目のくま、トムクルーズの半開きの口などなど。そしてケイト・ブランシェットも相変わらず幸の薄そうな良い顔をしていた。彼女が出てくるだけで画面がもつところが凄い。

マーティン・スコセッシ『ディパーテッド』

スコセッシの新作ということで稽古が本格化する前に見てそのうち感想を書こうと思っていたらアカデミー賞で作品賞を獲ってしまったので驚いた。どう考えてもそれほどの作品とは思えない。筋書きがしっかりしているのでそれなりに楽しめる作品だが映画としての見所が少なすぎる。ディカプリオの顔つきが3作目にして変わってきたことくらいか。最後にネズミがちょろちょろ出てきた演出とか酷かった。これなら『ギャング・オブ・ニューヨーク』の方がマシだったような。ちなみに『アビエイター』は未見。こないだ深夜にテレビでもやってた『カジノ』の方がもっと面白かった。最近はショー・ペシみたいな笑えるキレキャラが登場しないのも残念だ。相変わらずいい加減な賞というほかない。悪い意味で『グラディエイター』以来の衝撃だ。でもイーストウッドの『許されざるもの』や『ミリオンダラー・ベイビー』も受賞しているので場合によってはまともな?判断も下されることもあるようだし…。まああまりあてにならないのは確かだ。

ソフィア・コッポラ『マリー・アントワネット』

『バージンスーサイズ』や『ロスト・イン・トランスレーション』などあまりお金のかかってなさそうな映画ばかり撮ってきたソフィア・コッポラが『マリー・アントワネット』だなんてちょっと心配だったのだけれど悪くなかった。そもそもソフィアは狭い世界に閉じ込められた女性を一貫して描いてきたわけで、ガーリ−(もはや死語か)なものに対する愛着も含めて題材的には得意ジャンルといったところだろう。横たわる女性を魅力的に撮ることができる資質も遺憾なく発揮されていた。『スパイダーマン』の可愛くないヒロイン役で悪名高きキルスティン・ダンストを一瞬でも僕に可愛いと思わせた手腕はなかなかのものだ。演出の問題か物語の展開的に解せないところや、CMみたいなくだらない編集や、ラストはどうもひよった感があるけれど今公開している映画の中では比較的見所の多い作品だといえるのではないか。とりあえず今後が気になる監督の一人ではある。

クリント・イーストウッド『硫黄島からの手紙』

とても丁寧に作られた作品だった。ふだんあまり映画を見ない人にもお勧めだ。前作『父親たちの星条旗』よりもとっつきやすいだろう。イーストウッドらしさも健在で、例えばいつもの光と影を生かした画のつくり方。今回は前作にもあった夜戦のシーンに加え洞窟内の描写に冴えを見せていた。そして特筆すべきは主演の二宮君の顔の白さ、滑らかさだ。彼が顔に光を受け目を細めたとき、僕は勝手に、ああ、だからこの人を語り手に選んだのだなと深く納得してしまった。さらにその黒い裂け目のような眼はバルトの『表象の帝国』にあったあの眼と同じではないかという強引な解釈に誘惑されつつも、とりあえずは二宮君はとても良い仕事をしていたと断言したい。あとキャスティングについていえば中村獅童が笑えた。つくりすぎの顔が滑稽で。画面に登場する度に吹き出してしまった。監督は、そして中村獅童自身、計算なのか天然なのか大いなる謎だ。あとスリリングだったのは回想シーンにおける日本家屋内のカットだ。あのイーストウッドが小津映画に出てきそうな和室を撮るという時点でかなり興味深かった。
とにかく『硫黄島からの手紙』はかなりの秀作といえる。惜しむらくはイーストウッド自身がまたも俳優で主演していない点くらいか。あのしかめっ面がひどく恋しい。

ブライアン・デ・パルマ『ブラック・ダリア』

いろんな意味でけっこう笑える映画だった。要約すればジョシュ・ハートネットがとにかく女とヤリまくり煙草を吸いまくるのを丹念に撮りつつ、ときどきデ・パルマならではの凝った画が挿入される映画だと思うのですがどうでしょう?
それにしてもデ・パルマはとにかく謎だ。いや謎というほどでもなく、結局はヒッチコックに影響を受けすぎているだけのことなんだろうけど、それにしてもここまでのこだわりは尋常ではない。この『ブラック・ダリア』も大枠は要するに『めまい』だ。死体のそばに現われるカラスは『鳥』なわけで、他にも僕が見過ごしているだけで(たぶん階段を使った演出とか)ヒッチコックに対するこだわりが無数に隠されているのだと思う。そういう意味でもう一度見てみたい。
しかし何というかデ・パルマの凄いところは、見せ場で凝れば凝るほどかえってダサくなるところだ。相棒が殺されるところとか、面白いつくりなんだろうけど同時にダサい。全くこじゃれていない。巨匠っぽい落ち着きもない。もちろんあえてなんだろうし、このダサさがデ・パルマの真骨頂なんだろう。こじゃれた映画が嫌いな僕にとって、確かにこのデ・パルマのダサさは魅力だ。


クリント・イーストウッド『父親たちの星条旗』

うーむ、なるほど。イーストウッドが戦争映画を撮るとこうなるのか。以前に『ハートブレイクリッジ』を撮っているけど。これはまた全然違う作品に仕上がっている。いやそもそもこれまでのイーストウッド作品とは一線をかくした作品だなこれは。
もちろん面白い。イーストウッドが撮ったのだから面白くないわけがない。光と影を強調した画の作り方なんか巧すぎて格好よすぎてもはや嫌味だ。夜の甲板とか野戦のシーンとか。
でも何か物足りなさが残るのは何故か? それはやはりイーストウッド本人が出演していないからではないか。あのしかめっ面。もはや人間の顔を超えた顔としかいいようがないあのしかめっ面の不在が残念でならない。僕はあの顔だけでご飯を三杯食べられる。そういえば『ミスティクリバー』を見たときも同じような物足りなさを感じた。ショーンペンは素晴らしい俳優だがやはり彼でも役不足なのだ。
特に今作品は俳優が皆あまり有名でない人たちで、パンフレットには僕の敬愛するハスミ氏が無名性に賭けた演出といった快活な批評を寄せてらしたが果たして。確かにそういう意味では今までと確実に一線をかくしている。あと阿部和重がどうみたかも気になるところだ。今回は何処に何に変化してイーストウッドが出演していたとこじつけるのか。楽しみだ。

とにかく僕はイーストウッドの、あのしかめっ面が好きなのだと再確認。もういちどスクリーンで見たい。そのためにも長生きしてこれからも映画を撮り続け、できれば主役をはってくれることを切に願う。

M・ナイト・シャマラン『レディ・イン・ザ・ウォーター』

シャマランがまたとんでもない映画を撮ってしまった。
彼の映画の凄さは最後の最後までその映画がどんな映画なのかわからないところだ。ストーリー的にもそうだけど、どのジャンルの映画なのかすら最後のシーンまで予測できない。期待や予想を裏切る天才といえるだろう。もちろん確信犯で。
そしてこの『レディ・イン・ザ・ウォーター』も最後まで目が離せなかった。
物語の定型をなぞる快楽はそこになく、かといって滅茶苦茶でもなく、ずれているとしかいいようのない居心地の悪さが全編にみなぎっている。
しょうもない複線を張っては生かしてみたり、張りっぱなしで終わらせたり。あの男は何故からだの右側だけ鍛えていたのか? シャマラン自身がいつもどこかにカメオ出演するのは有名な話だが、今回はカメオどころかメインクラスの役どころで出ずっぱりだったのも異様だった。いつもながらハリウッド資本とは思えない変な映画だ。
しかし物語的な居心地のわるさに反比例して、画的には充実の一途をたどっているように思う。僕も素人なのであまり語ることはできないが、やたら出てきたローアングルで手前に足をピンボケで入れて奥に人物を配する画とかは効果的だったと思う。少なくとも最近よくある細かなカット割りの雰囲気だけしか伝えない薄っぺらい編集を今のシャマランは絶対にしない。真摯に映画と向き合うことのできる今時少ない監督なのだ。